陶芸教室はなかなか楽しい。
一個目に茶碗を、2個目3個目に杯を作っている。今日は杯のけずりの日。
茶碗は今日素焼きで、確か来来週本焼き。11月に焼きあがる。
今日もほめられた。器用やね~器用やね~と言われる。
でも、自分にとっては当たり前のつもり。1時間以上削りまくって、こんだけ好きなだけ時間かけたら普通できるやろ、とも思う(あえて高姿勢)。
でも、せんせと少し話したら、
「もしかして何かやってませんでした?」「あ、大学で染色をやってましたけど。」「あ、それでか!」ってことで納得された。「陶芸はやってませんけど、そんなもんですか?」
美大出とかの人って、「美に対する細かいこだわりとか粘着性とか、気のまわし方とか」、ぜんぜん一般と違うらしい。作るものが何か格段に違うらしい。そういうもんですかね。
土あそびのあと、髪を切って、
宣伝会議を買いに紀伊国屋へ寄った。
サンデル教授のおかげもあって、もう流行ってるのかな、
きっと哲学とか、あと社会貢献とか、くるんやろね。
平積みされていた、ニーチェをかいつまんだ本をちらっと立ち読み。
おおルサンチマンの人ニーチェ、生きるの楽しそう。よく知らないがきっとそういう編集なんやな。
で、自分を十分に愛せないひとは、孤独を感じるのだそうだ(たしかそんなかんじのこと)。
人といっしょにいようとするけど、それがかなわないと孤独を感じるのだと。
ふむふむふむ。ワシのさびしがりの原因はこれか?
自分を愛する、ってのが私にはよくわからないん。そんなに嫌いでもないし。
以前複数の誰かに言われたけど、自分を大事にしろとか、自分の幸せ考えろとか。しかも最近も。
大事にするって、どういうこと?その「感覚」がよくわからない。粗末にしてるつもりもないのに。
玄関やトイレをきれいにすれば分かるのか?ちょっと掃除したわ今日。
「感覚」が分かるときって、なんかふっとあるのよね。
高校の美術部で、デッサンごっこしていたら先生が
「描いてる物体は自分やと思え」というようなことを確か言ってた。
そのときキョトンとしてたけど、後になって大学とかで、なんとなく、あ!っていう瞬間があった。
説明はできないしなんともいえない。
話は戻るが、私は何かにつけしつこく粘るし、完璧主義風なとこがあるみたい。
そいや学生時代、2~3時間腰を曲げたまま、染めの作業に熱中してたことがあったな~(で、腰をいわしたな)って、今日も思い出した。
仕事では、やりすぎると遅いといわれるが。粘着的に文の細かいとこが気になる。……思えば「くよくよ」なんでも粘る私。文もつい長くなる。粘着と飛躍のせいで。
陶芸始めたばかりで、まだ一個も焼きあがってませんですが、
なにが面白いって、多分やりたいことを納得できるまでやらせてくれることかと。
1個目の茶碗で、あ~あそこもっときれいに作ったらよかったのに、と思って後悔したから、杯はとことんやりたい。ここでは粘着が嫌がられることはないんよね。
完璧なんて永遠にないことも分かってる。だから次こそは、と思う。
納得いくまで作りこめるってのはしあ~わせなことなんだわ、なぜか肩も凝らない。